「日本国憲法の問題点」(小室直樹)

返却期限がきまして、3/4くらいしか読めませんでした。まあ、大体分かりました。
要点は
・中世の封建社会、近世の絶対王政、そして近代へ。
・なぜ日本政治を官僚に任せてはいけないのか。
といった感じです。
全部書くと1万字以上行きそうなので端折りますが、資本主義の黎明期を支えたのはジェントリー(下級貴族)やヨーマン(自作農民)である。彼らは独自に生計を立て、教養も高く尊敬されていた。江戸時代の武士に例えられる。
彼らは自分こそが国家の支柱であり、そのように行動すべきであると考えていた。(ノブレス=オブリージュ)
ヨーロッパにあっては近代化を進め、ヨーマンはアメリカに渡り、政治、教育などを整えていった。
このような政治への参加と自治を実践する主体があって初めて近代国家は機能するのである。
日本はどうか。明治維新を起こし、日本を世界に認められる近代国家へと導いたのは下級武士達である。彼らは武士道を持ちノブレス=オブリージュを実践していた。士族として有名無実の存在になった彼らの受け皿となったのが官僚育成組織・東京帝国大学である。
帝国大学というと、勉強漬けのガリ勉くんというイメージがあるが、そうではない。殆どの学部で定員割れは当たり前で、入学試験すら行われない状態が常態化していた。日本の未来を背負う覚悟のある若者が入学していた。そこが特別視される所以であった。はっきり言うと、旧制高校の学生数よりも大学の定員の方が遥かに多いのだから、東京帝国大学と雖もフリー入学の時代であった。

ここまでは良い!日本を担う覚悟があるのだから立派なヨーマンである。彼らはの後ろには支えてくれる国民がいた。日本版の紳士として国家を導くという義務を負わされていた。
しかるに戦後の東京大学はどうか。四当五落と言われる熾烈な受験戦争が始まり、学力があるという、たったそれだけの理由で、主義、目的、何も問われずに官僚になる。そこには「頑張った個人」しか無く、官僚は民衆を見下し傲慢になる。個人の努力以外には何の後ろ支えも無いにも関わらず、自分は絶対的に正しいと勘違いをする。
作者曰く、中国の科挙に合格した官僚や、宦官などよりも遥かに日本の官僚は劣ると言う。