「数学を使わない数学の講義」(小室直樹)
読んでみました。
内容は以下の通り。
・存在問題について。
問題に解が存在すると分かれば、人間のやる気は見違えるように向上する。また、答えがないと分かれば無駄な事をしなくて済む。
・論理と集合。
数学的発想(論理的思考)のある国では、「何が良くて、何が悪いのか。」を明確に規定できる。集合の考え方があるからだ。その結果、契約が生まれ、戒律や法が決まる。
しかし、非論理の国・日本ではそれはできない。例えば「獣の肉を食べてはいけない。」と決まっていても、あれこれ屁理屈をこねて例外を見つけて食べてしまう。その時々の空気で、なし崩し的に規律が変わってしまう。
それが「日本教」のエッセンスである。
善悪のラインがキッチリと定められている国では、個人が決まりを勝手に変えたりする事はできません。そういう事です。
・科学と数学。
科学は絶対ではなく、仮定である。物事を観察して事実を集め、一番合理的な仮説を立てる。だから、新しい事実が出てくれば覆る可能性がある。
反対に、数学は絶対的な公理を演繹的に拡げていくので、一度証明されれば、絶対に覆らない。
・国民の命題と国家の命題。
国民の多くが望んでいる事であっても、集計すると違う選択になる場合がある。アローの背理が証明している。例えば、国民全体が「戦争反対」と念仏のように唱えても、国家は違う選択をする場合がある。
この話は難しすぎて理解しかねました。「新・戦争論」(小室直樹)を読んでみたいと思います。